二月革命

二月革命とはロシアの第二次ブルジョア民主主義革命のことで、第1次世界大戦中の1917年2月、ロシアの民衆は地主貴族の権力であるツァーリズム打倒の革命に勝利し、全国各地に労働者、農民、兵士のソビエトを創設しました。しかし中央には戦争の継続を主張するブルジョア的臨時政府が成立し、二重権力の状熊が発生しました。四月に亡命先のスイスから帰国したレーニンに指導されるボリシェビキは、戦争の中止、地主の土地没収、ノビエト権力の樹立などの基本方針、四月テーゼを決定しました。ボリシェビキは、ソビエト内で多数を占め、政府の攻策変更をせまり、ソビエト権力を平和的に樹立するという、革命の平和的発展を目指す方針を立てました。臨時政府には社会革命党のケレンスキーやメンシェビキも加わりましたが、民衆の要求は何一つ実現されませんでした。民衆の反戦大デモの武力弾圧とボリシェビキの非合法化を契機に、反革命勢力が全権力を掌握したため二重権力の状態は終了しました。レー二ンもフィンランドに亡命し、この時以来、革命の平和的発展はありえなくなり、武力革命の準備が行われました。こうして二月革命は、十月社会主義革命の序曲となったのでした。

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