メンシェビキ

メンシェビキとは、1903年のロシア社会民主労働党第二回大会でボリシェビキに対立したマルトフを中心とする少数派を起源とします。メンシェビキは革命の主体的要因で、革命的前衛の自覚性や組織性を過小評価し、レーニンの党組織論に反対しました。彼らはロシアはブルジョア革命を経過した後、はじめて社会主義革命を達成しうるとみなし、プロレタリアの当面の任務を農民とではなく、ブルジョアジーとの同盟にみいだしました。メンシェビキは主に熟練労働者間に支持者を持ち、したがって資本主義体制の枠内においての改良主義的傾向に陥りました。こうして第一次大戦に際して多くのメンシェピキは祖国防衛を擁護しました。10月革命には、ブルジョアジーと連合して聖戦の完遂を叫び、ポリシェビキの武装蜂起に反抗しました。主要なメンバーは、マルトア、アクセリロード、ブレハーノフなどで、日和見主義者をメンシェビキとも呼びます。

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